生と死と夕焼け-EP11
二人がドアを開けると、少女の両親は驚いた表情を大きく浮かべた。それは次に歓喜を表し、最後に心配そうな顔になった。母親は身を乗り出し駆け寄ろうとした。
「ナーシャちゃん!」
「待ちなさい」
それを父親に止められ、母親は駆け寄れなかった。母親は不服そうな表情を浮かべたが父親はそんなことは気にせずに青年を睨み付けた。
「私の娘から離れなさい」
「そんなことをしたら彼女、倒れますよ」
「私が支えるから離しなさい」
「無茶を言う」
青年は呆れた。めちゃくちゃなことを言う人だ。しかしそれほど少女に対して、自分の娘に対して本気なのだと青年は感じた。
「君がしていることは誘拐だぞ」
人でなし、そう言ってみせる父親の表情は怒りと軽蔑のそのものであった。青年はこの表情を向けられる機会があまりなかったので新鮮な心持ちがした。
青年は横に立つ少女の顔を盗み見た。少女の顔は無関心と怒りの間のような表情を浮かべていた。母親は少女のそんな様子を不安そうに見つめる。
「ナーシャちゃん、体調が悪いの?そうよね、
そんな小屋にいたら体調も崩すわよね、大丈夫よ、
もうすぐ助けてあげるからね」
早口に途切れ途切れに話す母親に、青年は母親らしい心配と安心させようとする心遣いを感じた。しかし少女の晴れない視線を見ればその言葉に効果がないことは一目瞭然であった。
「帰らないわよ、私」
やっと少女は言葉を発した。はっきりと言い放つ様子に両親は驚きを隠せず、動揺した様子で言葉を紡ぐ。
「何を言っているんだ」
「話せるようになったのね!」
「お前は誘拐犯の肩を持つのか」
父親の疑問と母親の喜びでその場はカオス状態となった。少女は顔を両親に向けて怒りを表している。それは年頃らしい表情でもあった。
「私、彼に会ってようやく生きたいと感じたわ。
それまではずっと死にたくてたまらなかった。
なぜ私を生かしたの?
こんな体なら死んでしまった方がましだった」
「お前のことを愛していたんだ」
「本当よ。生きていて欲しかったの」
「それはあなたたちの気持ちじゃない。
こんな体で生きていくことを考えたら殺してあ
げる方が優しさだと思えなかったの?」
「お前のことを一生をかけて守るって決めていた」
「私より先に死ぬ癖に?」
「その頃にはお前にもいい人が見つかると……」
父親の少し惑う様子と母親の不安そうな様子に空間に歪みを生むように空気が重く濁った。青年はその空気が悪くなる瞬間を痛いほどに感じた。
「なら、今がその時よ」
少女はそう言うと青年に中に入りましょう、と言った。
青年は少し迷ったが少女に従い小屋に入った。振り向き際に見た両親の顔は青年にはなんと言い表せば良いのかわからなかった。しかしそれが快の表情でないことはよくわかった。
二人が中に入っていった後、両親は馬車に乗り麓へと降りて行った。少女はベッドで寝転がり、窓に背を向ける。それが意図的でわざとらしいような気がして青年はかける言葉を探した。
室内に入って二、三時間が経った。部屋の中の気温は心なしか低くて少女はシーツに包まっていた。青年はそんな少女のベッドの脇に腰かけて少女の頭を撫でた。
「なにがそんなに辛いんだい」
「辛くなんてないわ」
「両親においていかれてさみしいのかい」
「寂しくなんかないわ」
「言ってしまった言葉を後悔しているのかい」
「……」
「君の反応は悪いものではないよ、年頃の子
は大抵そんな風に両親に反抗するものさ。
そしてそれを悔やみながら大人になるんだ」
青年は慰めるように少女に体を寄せ、なお頭を撫で続けた。少女にとってこう言ったことはお節介かもしれないと思いつつもそうせずにはいられなかった。
「私わかってるの。父さんや母さんが私を愛する理由。
それは私が彼らの愛の物理的な証拠だから。
だから私の気持ちは尊重されずに両親の気持ちが
尊重される。私のためを想うならばあの事故の日に
殺しておくのが優しさのはずよ」
「それはどうかな」
「ちがうと言うの?」
「君の言っているのは優しさでなく易しさだ。
簡単、と言う意味だよ。簡単な生き方を
君が望んでいるに過ぎないんだ」
「あなたは何も知らないわ、自分の肢体が欠
けた苦しみだって」
「もちろんそうだね。ただ、生きると言うの
は程度が違えど苦しみを抱きながら一日一
日を過ごすことなんだよ」
「あなたに何がわかるのよ」
「わかるよ、もう一千年近く生きているから
ね」
「何を言っているのかわからないわ」
少女は困惑の表情を浮かべた。青年は自分の暴露を恥じなかった。
「僕が怖いなら早く両親の元に帰った方がいい。
僕は死なないからきみの一生を見届けることは可能だ。
しかし僕が人間だと言う保証は、僕だって持っていない」
それは暗に少女に両親を追って帰るようにと伝えていた。そしてそれがわからない少女でもなかった。
少女には青年が嘘を言っているようには見えない。しかし少女はそんな踏ん切りもつかない。嫌いな両親と優しい青年ならば必ず青年を取る自信があった。しかし青年が死なない怪物ならばそれはどうであろう。
少女の困惑をその目に焼き付けた青年は潮時だ、と辻馬車を呼んだ。三十分もせずに馬車は着くだろう。青年にとってこの小屋の場所を知られるのはいいことではなかったが、この際は仕方がなかった。
あの病院からここまで馬車で来るのには、徒歩ほど小回りが効かないので必ず一度麓の港町を通る。そこで会えなくとも少なくともあの病院まで送ってあげれれば両親と連絡も取れるはずだ。
少女と青年はだんまりと黙り込んでいた。それは二人に訪れた久しぶりの重く沈んだ空気であった。お互いに触れないようにしてきたものにお互いに触れ、お互いが諦めにも近い感情を抱いていた。
きっともう会うことはない。
馬車が着いた。近寄る馬の足音に早く近づいてほしいと思う気持ちよりこちらへ来ないでほしいと思う気持ちが勝っていた。出逢わなければ、と思う心を初めて感じた。
青年は少女に近づき、肩を貸すよ、と言った。少女は迷わずその肩に腕を回した。
表へ出ると青年と少女は馬車に向かった。少女の手に荷物はなかった。青年は少しそれを寂しくも思った。
従者がドアを開けて待っている。
「一人じゃ乗れないわ」
ポツリとそう言う少女に切なさが募った。
「乗せてあげるよ」
そう言って抱き上げ、従者に軽く会釈して座席に座らせる。小さめの四人乗りの馬車は一人ではさほど窮屈ではなさそうだ。
青年は馬車の中で座る少女を見て、出会いと別れを惜しむ気持ちが浮き彫りになるのを感じた。青年から見る少女の表情は出会った時とは全く違う、生きた人間の顔と言えた。
青年と少女は向き合った。馬車に乗った少女は青年より目線が高く、まるでロミオとジュリエットのようで。少女が小さく口を動かしたので青年は少女の顔に耳を近づける。別れの言葉を聞き逃さないようにと。
青年は腕を掴まれた。細い手が力いっぱいに引っ張った。とっさのことにバランスを崩し、青年は片足を馬車に乗り上げた。少女はそれを確認すると寝転ぶように体を使って青年を引っ張り、馬車に乗せた。
「ドアを閉めていいわ」
少女は従者にそう告げ、従者はそれに従いドアを閉めた。
青年は困惑した。
「何をしているんだきみは……」
「何って、言ったじゃない。一人じゃ馬車に乗れないのよ」
「だから今乗せてあげたじゃないか」
「降りるときは?歩くときは?もしかしてあなた、
私を一人で街まで出す気だったの?」
少女はわかっているのに意地悪く青年を問い詰めた。青年は気づき、笑った。
「わかった。僕が悪かった。最後まで付き合うよ」
気持ちがふさぎ込むと、どうも自分のことしか見えなくなって困る。そうぼやいて青年は少女の横に座った。そして従者に小窓から麓の港街まで、と伝える。少女はその様子を始終満足そうにみつめていた。
馬車の中は春の陽気だった。道は悪くガタガタと文句を言いながら揺れるが、その中の空気は決して悪くはならなかった。
「乗り物酔いはしないかい?」
「大丈夫よ。あなたもしんどくなったら
小窓から顔を出せばいいわ」
「お気遣いありがとう」
「どういたしまして」
彼女のけんかの後の憎まれ口には嫌いになれない愛嬌がある。青年はそんなことを考えながら陽の光の温もりを感じた。