生と死と夕焼け-EP10
二人は荷物をまとめた。小さな小屋でお互いに荷物なんて衣服くらいだった。それに青年は数日分の食料と水を革製の鞄に入れた。
「荷物はまとまったかい?」
「バッチリよ!もう出発が待ちきれないわ」
そんな少女に青年はにこやかに笑いかける。
「そんなに焦らなくたって街は逃げないさ。
出来るだけ早く次の家まで行きたいから、
大変な道になると思うけど頑張ってね」
「頑張るのはあなたじゃない」
青年の言葉に少女は瞳を伏せて自身の脚のあったはずの場所に手を置く。キュッとその場所のシーツを握りしめ、目を閉じる。
「そんなつもりで言ったんじゃないよ。ただ
もししんどくなってしまっても移動中では
医者がいないかもしれないし、君の看病も
疎かになる可能性がある。だから心算だけ
しておいて欲しいんだ」
「そんなに貧弱じゃないわ」
少し困ったような表情の青年に対して、少女はさっきまでと打って変わって不服そうに額にしわを寄せる。
青年の言い分もわからないわけではないが、これから長距離を動くにあたって、自分はただ背負われるだけで青年がその足を使う。なのに自分が更に身の心配までされることに、青年が全く自分を頼りにしていない事実に、腹が立っていた。
もちろん少女自身、自分には何もできないことはわかってはいる。しかし面と向かって直接言われるのはまた話が違うのだ。
少女は不服を体現するようにベッドに横たわった。このベッドにもよく慣れたものだ、と少女は思う。病室の毎日洗ったシーツのベッドよりよっぽど不潔で、サイズも病室のベッドの半分しかない。ましてや来た当初はとても埃っぽかった。咳だって出た。
しかし日当たりは最高でいつも暖かく、太陽の優しい香りがする。少女はこの優しく抱かれるような感覚を実は気に入っていた。
少女はベッドのシーツに顔を埋めて深呼吸をした。少女には気がかりなことがあった。それは青年があまりにも甲斐甲斐しいことだ。ベッドは常に自分に使わせて彼は床で眠り、食事は彼が作り、掃除や洗濯も彼がする。
自分に何かできるのか、と言われてしまうと何も思い浮かばない。ただしこのまま世話を焼かれ続けるのは不満なのだ。
せめて立てたらな……
今まで現実的に自分の体に不満を感じたことはなかった。ただ漠然と、脚がない、歩けない、何もできない、そう考えていただけだった。
ただ不満を述べるだけじゃダメだ、立てるようになりたい
そう願った。
荷造りをした翌日、小屋を出ることになった。青年は少女を背に乗せ、首から食料などの入った革製の鞄を下げる。少女は自分と青年の衣服の入った袋を肩から下げる。大きな肉と布の塊のようになったところで、青年は歩き出した。否、歩き出そうとした。
その動きを止めたのは近くで鳴る馬車の走る音だ。馬の足音と大きなガタガタという雑音。青年はその異常事態に驚いた。
「おかしいな、近くに何もできた形跡もないのに
人がこんなところまで来るなんて」
青年は不審そうにその音が止むのを待つ。
少女は聞き慣れた馬車の音に困惑した。
「父さん、母さん……」
背中から発せられる少女のか細い声は青年の耳まで届いた。そして青年は察した。
馬車の音は小屋のほんそばで止んだ。目的は明確であった。
馬車から体つきの豊かな男性と細いヒールのように華奢な女性が降り立った。二人の身なりは整っており、品を感じる。
降り立つ二人を少女はただ黙って見ていた。青年はいたって平然と二人に声をかけた。
「こんなところにどうなさったのですか?
迷っているようなら麓までの道をお教えしますが」
青年は麗しく爽やかな笑顔を見せる。美しい二人の長い髪が風に揺れる。対して馬車のそばに立つ二人の髪はピシッと整っており揺れはしない。男性はその場から青年に答えた。
「それは私たちが誰かということを知っての発言かね?」
少し怒りを含んだような声色は青年を威嚇するかのようであった。
「はて、僕にはわかりかねますが」
「とぼけるのはよして!」
女性の甲高い声が木々に覆われた緑の空洞に反響する。
小さな鳥たちがパタパタと飛び立つ。声高く言った女性は動揺しているようだったが、横の男性に肩を抱き寄せられ、その体に身を寄せる。それに青年は二人の関係性を垣間見た気になった。
男性は重く落ち着いた声で青年に話しかける。
「君は私たちの娘をどうするつもりだ」
「どうするも何も存じあげませんが」
「愚か者めが。君の背に背負っている者はじゃあ誰だと言うのだね」
「貴方達の娘という証拠もないでしょう」
「何を馬鹿なことを言うか。娘でなければわざわざ
こんな所まで来るまい」
「さあ?人攫いかもしれませんからね。そう
簡単に信用はできかねます」
「私たちの子を返して!」
青年と男性の煽り合いとも取れる進まない会話にこらえきれなくなったのか女性は声を荒げた。
青年は少女を見た。見たと言っても背にいる少女をしっかりと視界に捉えることはできず、見えたのは青年の肩に顔を埋めた少女のつむじだけだった。
「とりあえず今日はお帰り願えますか、彼女
体調が芳しくないようなので」
そう言い残すと青年は二人に背を向けて小屋に入ろうとした。
「待ちなさい!私達は娘を返してもらうまで
はここから離れんぞ!お前のような人攫い
に娘を盗られたままでは安心して眠れん」
そう声を荒げる男性に青年はうんざりとしたことを隠さず、美しい口からため息を溢した。
「あのですね、あまり騒がないでください。
本当にこの子が貴方達の娘だとしたら、
第一にこの子の体調を考えるでしょう?
自分の睡眠より。その時点で貴方達は怪しいです」
そう言って青年は扉を閉めた。
外から大きな声が聞こえたが、青年は無視をするように努めた。カーテンを閉め、少女を小さなベッドに横たわらせる。少女はすぐに真っ白なシーツに顔を埋めた。
「どうする?君が何もできないなら僕があの
二人を遇らうよ。大丈夫、うまくやるさ、慣れてる」
「待って」
「待つよ」
青年は少女がどうするのか五分五分だと感じていた。少女は変態を目前にしたサナギだ。蝶になるか、蛾になるか、はたまた変態に失敗して命を落とすか。青年からすればどれも特にいい結果だとは思えないものが脳裏に浮かんだ。
一方で少女は震えていた。それはずっと向き合って来なかったものを目の前にして怯えているのか、それともただの武者震いか。ただ少女は全て前者であろう。
両親が目の前に現れた時、少女はとっさに顔を青年の背に隠し、何も聞こえないかのように押し黙った。それは反射的に起こった反応であり、彼女のトラウマを刺激された結果だった。
しかし少女にとってそれは苦痛だった。自分が今だに両親に縛られていると言う事実に無性に腹が立った。そして、その癖に自分を救ってくれた青年を邪険に扱うような両親の物言いにも腹を立てていた。
少女はバッと顔をシーツから上げて勢いよく言った。
「私、話すわ。言いたいことがあるの。
これからもあなたと一緒にいたいの。」
青年は少女の言葉に喜び、そして切なくなった。いよいよ少女が蝶になろうとしているのだ。自分といたいと言ってくれるのは嬉しい、しかしそれは叶わない。青年は少女が自己を確立し、自分の足で立ったとき、その末は静寂な別れが待っていると理解していた。それは青年の秘密のためにも、少女の生のためにも必要なことであった。
「きみならできるよ」
苦しい言葉だった。笑顔は不自然で青年の気持ちをありありと大きく示している。しかし自分のことにいっぱいいっぱいな二人はそんな不自然にも気付きはしない。
少女と青年はどちらからともなく抱き合った。抱擁は深く、力強い。
「肩を貸してくれる?」
「もちろんだよ」
少女は抱き合った姿勢でそう尋ねると青年は快く返答した。そしてどちらからともなく身を離すと、青年はベッドに腰掛ける少女に肩を貸した。身長差があるため青年は腰をかがめ、少女は体を伸ばした姿勢になる。そして二人は歩き出す。それはヴァージンロードを歩く新郎新婦のように厳かであった。