善と鱗

のんびり静かに暮らそう

楽しみがないならオタクになろうぜ

二次創作がしたい。

私の心にはもう十何年も前からその思いが尽きない。

小さい時からアニメを見て育ってきた。

それはもう幼稚園の頃にはボボボーボ・ボーボボを見ていた記憶がある。

初めて絵を描いたのは家庭教師ヒットマンREBORN!だったはず。

それが大体小学校四年生の頃だ。

これが私の二次創作の始まりである。

オタクとしての右も左も分からないままネットの大海原を彷徨い。

腐向け?夢女?えっ18禁?

とまあ意味も分からずその度学習していった。

おかげで好き嫌いのないオタクとして青春時代を過ごした。

中学の時は毎日毎日、年間1000枚くらいは落書きを含めて絵を描いていたと思う。

小学校の頃に画家に憧れていたのもあり、

私の最初の二次創作はイラストであった。

小、中学校の頃は漫画も描いてみたいと描いたこともあるが、

とてもじゃないが世に出せたものじゃなかった。

その一方で小説を書いた経験もある。

要点しか書けない500文字〜1500文字のショートもショートだ。

今はもう目も当てられない。

なんなら書いた当初から気づいていた。

それでも描いたり書いたりしていたのは、二次創作をしている中で

私は自己表現をしたいという欲求を同時に満たしていたからかもしれない。

恥ずかしがり屋な部類だったので自己表現が苦手であった。

正確には、答えのないものを主張するのが苦手であった。

感性だとか、信念だとか、先生にマルバツつけてもらえないものが恥ずかしかった。

間違っているのが怖いというよりも、

自分が正しいと証明できないことが恥ずかしかった。

理解されなかった時に言い負かされるのが怖かった。

だから私は自分の哲学もイラストに二次創作の姿を借りて表現していた。

特にムークラ時代(ムーミンクラスタの略)は多感だったのもあり

ムーミンの世界に共感したり、ほのぼのした絵や寂しさを描いこともあった。

伝わるかは置いておいて、自分がそれを発散する場所が必要だったのだ。

しかし中学三年の頃に私は受験勉強のためオタク的活動から遠ざかった。

それからというものかなり消極的だった。

志望校に受かったものの、クラスにはなじめず、ストレスは溜まる一方。

美術部も合わず、少しずつスレてしまった。

ちなみに当時の自己表現はメイクと髪型だった。

そして高校生三年の頃の話だが、

国語科の先生に小説を書いてみたらどうかと勧められた。

というのも私はスレた後も読書好きで、図書室に通っていたのだ。

多分暇そうに見えたのだろう、先生は私を誘った。

先生が文法を添削してあげるから、それを文芸部の雑誌?に載せるんだ、と。

私がその時とんでもない!と思ったのは確かだ。

文章を書いて人に読ますなんて。

しかも本当に10作品も書いたことのない人種だ。

やってみたい、よりも恥ずかしい、が勝ってしまった。

しかし同時に、先生に言われて自分が文章を書くのも好きだったことを思い出した。

高三の夏から、私は物語を書き出した。

正確には高校生の頃書きかけていたものは紛失してしまったからないのだが。

私は新しいことを始めるのが苦手だ。

1人でこっそり書いて楽しむことを覚えていたからやってみようと思えた。

今もなおそれを楽しめるのはあのハチャメチャオタク時代があるからだ。

絵を描く楽しみも、文字を書く楽しみも、私の人生の楽しみの根底には

あのオタク的二次創作という時期がある。

だから私はいつまでだってオタクでいたいと思う。

楽しみを忘れないように。

そして今楽しみがなくて困っている人がいるなら、

いろんなジャンルのアニメを一度見てみてほしい。

もしオタク的楽しみがハマれば、そこからたくさんの楽しみに繋がるから。

絵を描くもそう、小説を書くもそう、歌を歌うとか、漫画を描く、コスプレをする、

詩を書く、ぬいぐるみを作る、衣装を縫う、本当にいろんな楽しみがあると思う。

そんなわけで、私は今日こんなショートなブログをあげてみようと思う。

オタクは楽しい!オタクが薄れても楽しみは残る!

だからみんなでオタクしようぜ!

 

ちなみに今書いている小説は11000文字を超えた。

まだ序章だがいつか書き終わればいいなと書き進めている。

というか十数年前の500文字からはだいぶ進歩したと考えているのだが…

 

ちなみに私は今風邪を引いて苦しんでいる。

みなさんも風邪にはお気をつけて!

眠る人はお休みなさい!夜を堪能する人は楽しんで!