【イラスト紹介】「昏睡」【人魚の女の子】
この度、初めて今まで描いたイラストの紹介をしようかと思い立ち、重い腰をあげました。
あくまで創作作品、版権物でないものでまとめていきたいと思います。
作品がはっきりと見える写真と額に入れた写真が出せるようにしていきます。
ツイッターでもあげているのでぜひそちらもチェックしてみてください☺︎
illust.1 昏睡
size.postcard
人魚の女の子が浴槽に入っているイラスト
作品概要
禍々しいくたびれた浴槽に眠るのは恋を夢見る人魚の少女。
輝くヒレは穢れを知らず。
厚い頬は夢うつつ。
まだ現実を知らず、まだ己がどこにいるのかも知らない。
無垢に向けた憐愍を描きました。
この人魚姫の行く先はどこでしょう。
いつか少女が目覚める時が来るのでしょうか。
最後に
初の試みですが最後まで閲覧いただきありがとうございました☺︎
この作品はツイッター始動後、はじめて描きあげた作品で思い入れの深いものです。
また自分にとっての核となるものを、描き表したいという想いも込めています。
まだまだ求めるところは遠く、険しいですが、作品たちは子であり、軌跡であり、そして自分の一部です。
今回、貴方の目に映していただけてとても嬉しいです。
そしてまた、ぜひ覗きに来ていただけると幸いです。
創作作品はもちろん、アニメ系のイラストもツイッターであげていますので、ぜひ合わせてご覧ください☺︎
MelloSaka (@sakae_illust) | Twitter
閲覧ありがとうございました☺︎
生と死と夕焼け-EP13《終》
気持ちの落ち着いた頃に、少女は両親に肩を借り、青年の元へ戻った。両親は青年を前にすると砕けていた表情をピシッとしたものに直したが、すぐに少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「娘を頼みます」
「いいんですか」
「娘がそれを望むのなら」
「いい親御さんです」
「やめてくれ、殴りかかってしいまいそうなんだ」
そこで四人は笑い、両親と青年は握手を交わした。
「僕はベルトーン。お二人からこの子をお預かりします、命の保証はないですが、彼女を幸せにしてみせます」
「ベルトーン、君は変な奴だな」
「娘さんにはかないませんよ」
そう言い、また笑った。青年は少女に肩を貸して、馬車に乗り込む。二人は切なそうに肩を寄せ合い馬車に乗り込んだ二人を見つめる。少女も名残惜しそうにドアの小窓から二人に手を振った。
「帰らなくてよかったのかい」
「いいのよ」
「僕は人間じゃないかもしれないよ」
「今、あなたが人間じゃないなら私が人間にしてあげるわ。人間の定理ってなんだと思う?」
「キミってやっぱり変わってる。」
青年は笑った。
「人を愛したり、怒ったり泣いたり。感情を多く持つことじゃないかな」
「あら、それならもうあなたは立派な人間じゃない」
「え?」
「あなたは私の見る限り表情豊かよ、怒ったらすぐにわかるし、楽しい時はよく笑うわ。強いて言うなら涙は見たことないわね」
冷静に思い返せばその通りであった。この少女と行動を共にするようになってからの青年の心は驚くほど目まぐるしく働くようになっていた。
「そういいえば初めて見た時からきみは他人のような気がしなかった。ずっと今まで何も感じずに生きてきたのに、きみとあってからは不安に心が揺れたり、ちょっと怒ってみたりと心が忙しかった」
「言ってしまうと私もそうよ。出会ったすぐだったのに、あなたに惹かれてた。心が忙しかった。これも縁じゃない。私はあなたを幸せにしたいの」
「僕は君にひどいことをしたよ」
「済んだことよ」
「僕はきみから見れば亀や鶴、仙人のように年配だけどそれでもいいの?」
「そんなあなただからいいのよ」
「なら、このきみにもらった心は、きみが死ぬ時までずっときみに捧げ続ける」
「それはまた不確定な誓いね。いいわ、私は死ぬ時、あなたと一緒になれるように努力することにするわ」
青年の最後の重くて固いドアが、やっと開けた。青年は少女の言葉が嬉しかった。
しかしながらそれでも青年の運命は変わらないだろう。
やっと、一緒になれたのに、少女は自分を置いて登る、その事実は変わらない。
「大丈夫よ」
少女は変わらず、しっかりと青年を見つめて言った。
「あなたは私と一緒にいて人間になったんだから、私が登る時、あなたも一緒に登れるように私が引っ張ってあげる」
「私もあなたも同じ誕生日を過ごしたんだもの」
そういうと、少女は青年に元気な笑顔を見せた。何十年先のことかはわからないけどね、そういう彼女は本当に綺麗だった。以前の青年ならこんな小娘の言うこと信じなかった。しかし今は、君だけは違うから、君に生まれ変わらせてもらったから、そう青年はその笑顔を信じた。
青年はこの時のことを今だに色褪せず覚えている。人生で一番の喜びの瞬間だった。
それから、青年たちは何十年の時を共に過ごした。少女は強い女性だった。本当に長く生きてくれた。青年の一千年の中では本当に短かったが、それでも少女は長く生きてくれた。そして少女との別れが刻一刻と近づいているのを青年も感じている。青年は己の中に込み上げる何かが出てきそうで出てこなくて気持ちが悪い思いを続けた。
彼女はここ数ヶ月ベッドから出ていない。窓から見える景色を毎日毎日ぼんやりと眺めている。青年はそんな彼女を見つめ続けていた。
「老いるというのは幸せかい?」
青年の問いに彼女は答えない。ただ窓の外をぼうっと眺めている。いや、見つめているのかもしれない。青年もつられて外に視線をずらした。青い空の下に、太くて背の高い木が一本立っている。ピンク色の花をたくさんつけて、窓の世界の主役になっている。しかし青年にとっての主役は窓の内側にいる彼女だけだ。彼女に届けばいいと思って、青年は彼女を見つめる。
ふと、ベッドの横の棚に置かれた花瓶が目に入ったので、水を入れ替えてやろうと青年は椅子から立った。植物の入った花瓶は頻繁に面倒を見てやらないとすぐに駄目になるものだから困る。
「すぐに戻るからね」
彼女の肩に手を置いて囁いた。彼女は青年を見ない。青年は踵を返してドアに向かった。廊下は彼女の部屋より少し暗い。また春にポンプから汲み出す水はどうしてこうも冷たいのだろう。
彼女のいる部屋のドアはいつもニスが塗りたてのように綺麗だ。青年は花瓶を手に彼女の部屋へのドアをくぐった。彼女は窓からドアに視線を移して、青年を見ていた。ずっと青年を見なかった視線が彼に向かっている。じっと、見つめてくる。
「あなたはお花がやっぱり似合うわね。お庭で育ててた花ね?アジュガにアセビ、それにアネモネ。アから始まる花ばっかり」
彼女はそういってくすくすと上品に笑った。そして付け足すように、好きな花ばかりよ、と言った。青年はずっと己の目の前にいた老婆はこんなに美しかったかと感嘆した
。青年は声が出なくなり、やっと絞り出したと思ったら、
「ずっと桜になんか焦がれてちゃってさ、よく言うよ」
と悪態をついた。言いたいことはもっと山ほどあるのになあ、そんな無念がコンマ一秒の脊髄反射のように巡る。今はなんだか苦しくて言えない、そんな心持ちがした。彼
女は青年を手招きして呼んで、耳元で囁いた。
「ずっとあなたの夢を見ていたの。桜はまるであなたのようで」
青年は今までの仕打ちの全てを忘れた。青年は彼女の手に自分の手を重ねて、ただ彼を見つめる瞳を見つめて話した。青年は目を見つめて会話ができる喜びを実感した。
しわくちゃの手と少しあかぎれた手が重なった時、彼女は悲しそうな顔をした。言いたいことはわかった。
「僕の手、前に見たときよりずっと綺麗でしょう?これが人を愛した人間の手だよ」
やっと手に入った、そう言って笑って見せた。彼女ははにかんだ。長い間ごめんね、と言われた青年は、長いなんて一千年生きてから言ってよ、と返した。本当は寂しかった、なんて言わない。青年の一千年に比べれば、流れ星の流れるように一瞬の出来事だったから。しかしながらそれでも、彼女の夢はとても長かった。少なくとも、毎日毎日、日が昇っている間はずっと青年の夢を見ていたということだ。青年は夢の中の自分が羨ましくなった。
「あなたと出会ってからのことを夢で見てたのよ。あなたと出会ってからは、全てがあっという間だった。あなたは変わらないのに、私がこんなになるまで一緒にいてくれたのね」
青年はより深く彼女の指と自分の指を絡ませた。
「こんな私の傍になんて居たくないでしょう」
「君は綺麗だよ」
いつまでも。わかっているくせに。心配そうに言うから僕だって心配になった。
「君は他の何よりも綺麗だ。僕よりも」
青年は彼女をきつく、抱きしめた。痛い、と言うから少し緩めて、それでもまた抱きしめた。
「はたから見たらおばあちゃんと孫ね」
そう言ってからかう老婆に青年はキスをした。少しカサついた唇に、出会った時の桃の香を感じた。そして何かが満たされていくのを感じた。老婆は少し悪態をついたがそれが照れの裏返しだということは青年には手に取るようにわかった。
「桜は君みたいだね。優雅な女性」
青年がそう囁くと、彼女は怪訝そうな顔をして言った。彼女はゆっくり桜へ視線を移してきっぱりと言い放った。
「あれはあなたよ。だって桜の花言は」
「精神美」
その口調はあの時のようにはっきりとしていた。彼女はまた青年へ視線を移した。そして彼を見てまたはっきりと言った。
「やっぱりあなたは桜ね」
僕は、と言いかけてやめた。彼女に言われたらそんな気がした、いや、そう思いたかった。青年の堕ちたはずの心が、清いと言われると震えた。
「君と一緒に登れるかな」
「もちろんよ」
登る時はあなたを連れて行くって何十年も前からずっと決めてるもの、そう言う彼女の清々しく透き通った声色に目頭が熱くなった。
「君を愛しているよ。この世の何よりも」
こんな言葉じゃ足りないのに。この一千年の中で感じた中の一番は君だ。置いていかないでほしい。ずっと傍にいたい。こんな言葉じゃまだ表せない。君に伝えるためだけの新言語が必要だ。愛の言葉の新言語が。青年の頭はゴチャゴチャと積み木が崩れ混ざるように混沌としていた。
「私はあなたと一緒に人間になれてよかったわ」
「君は元から人間だったさ」
気の利いたことなんて言えない。彼女は微笑んで言った。
「私は人間に生まれたのに人間じゃなかったわ。私は愛することを全然知らなかった。他人を認めることも自分を認めることもできなかった。あなたと出逢って生まれ変わった心地だった。だから私の誕生日は、あなたと出逢った日よ」
彼女はここ最近では珍しく随分と饒舌だ。
「だとしたら一つ間違いがあるよ。私の誕生日、じゃなくて “私たち” の誕生日さ」
青年の言葉に彼女はにっこりと微笑んだ。それは少女だったあの頃を思い出すような輝きだった。ずっと無表情な彼女を見つめ続けていた青年はそんなきらめく笑顔を見ただけでめまいがするほど愛が溢れクラクラした。君を愛している、と身体中の遺伝子たちが、赤血球たちが叫んだ。青年はついに尋ねた。
「もうお別れなの?」
彼女は少し寂しそうにまた笑って、そうね、と返事をした。彼女の瞳に映った青年は今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。彼女の手招きに誘われて、花の蜜を求める蜜蜂のように青年は彼女の腕に抱かれた。彼女の体温を確かめるように深く潜り込んだ。彼女はすごく幸せそうに笑った。
「これで登る時、あなたを忘れずに登れるわね」
青年の熱くなった目頭が彼女の濡れた胸に冷まされる。青年の熱い目は熱を上げていった。このままでは目玉が解けてしまう。彼女の胸に顔を擦り付けて冷まそうとするけど熱は下がらない。愛してるわよ、と静かな声が頭の上から聞こえた。僕も、と言いたかったのに肝心な時に声が出なかった。青年はうめき声をあげて返事をした。本当に子どものようだと自分でも思った。君を愛する男としては未熟過ぎただろうか、青年は初めて自分を未熟だと思えた。そして一千年も生きた癖に、と自嘲した。
青年を慰めていた彼女の心の臓は活動をやめ、彼女の体温はどんどんと下がっていく。青年を抱きしめる腕がだらりと力なく落ちたから、彼はそれを拾ってもう一度彼の肩に乗せて向き合った。顔を付き合わせて、これでもか、と見つめているのに。閉じた目は開かない。でも、それが人間だ。青年は長く感じてこなかった人の死への動揺を感じた。やり場のない想いに胸が潰れて息苦しかった。
君に、僕は君のせいでこんなに苦しいんだって文句を言ってやりたいのに、君はもうここにはいない。僕の行けない場所までもう行っちゃったのかな?もう、僕の声は聞こえないのかな。
「石の年齢って知っているかい……」
当然、問いの答えはない。
目玉だけじゃない、脳みそまで解けて、目や鼻から垂れてくるんじゃないかと思う。今はもうどこが熱いのかも青年にはよくわからなかった。
「本当に、人間って嘘つきだ」
ポツリ、と言の葉が溢れ落ちる。
「ずるいよ、一人だけで登るなんて」
ずるい、なんていつ振りに言っただろう。もう記憶にない程には言っていない。
「夕焼けが眩しい・・・」
焼けた空は霞んだピンク色で、桜の花たちを飲み込み、空全体が大きな桜の木のように見えた。そんな大樹が雲の隙間から漏れ出す光の柱を包み込んでいた。
青年は久々に光を見た。
生と死と夕焼け-EP12
「着きましたよ」
従者が馬車を止め、ドアを開けてそう伝える。青年は礼をし、馬車から降りて両手を広げた。少女は迷わずその首に腕を回し身を預ける。青年は白いスカートの少女をそのまま横抱きにして歩き出した。
馬車が到着していたのは辻馬車の待機場所となる駅前であった。青年は少女に自分の両親がいたら教えるようにと言い聞かせて抱きしめた。そして今度は背中に背負って歩き出す。きっとまだこの街にいる。そんな確信を背負っていた。
少女にとってはこの時間は幸せの中にある憂鬱な時間であった。そして青年と出会ってからの時間は不幸の中にある幸せであった。青年が少女を帰すことを望んでいることは少女にもわかっていた。そしてそれが本心でないことも。
少女は辛いことに両親を素早く見つけてしまっていた。両親の乗る馬車は家の物で、まさか辻馬車の集まる場所にいるなんて少女は思ってもみなかった。
少女は悩んだ。言うべきか、否か。しかし答えはもう出ていた。言わなくとも遅かれ早かれ両親とは向き合わなくてならない。それは生きている限り付きまとう宿命だ。ならば青年に勇姿を見せてやることが、青年への恩返しの一つとなる。青年が喜ぶことは少女にとっても嬉しい。
「降ろして」
「え?」
「いたわ、行ってくる」
「支えていくよ」
「あなたにはここから見てて欲しいの」
少女のまっすぐな眼差しは、自分を励まし、出会い出発した時のあの眼差しと重なり、青年を惹きつける。
「いってらっしゃい」
青年は微笑み、そのまま屈んで少女の片脚を地面に送った。
「いってきます」
少女は微笑み片脚だけで進む。日本の妖怪の唐傘おばけのようで、その様子は街の人の視線を奪った。人々は怪訝そうな表情を浮かべ、ひそひそと話し出す。その声は吐き気がするほどに気持ちが悪かったが、少女を見ると、青年はこの場から動くことを許されなかった。
少女は進んだ。両親に向かって一歩一歩とジャンプを繰り返す。筋肉のほとんどない脚はプルプルと震え、数メートルもすれば苦しく息も上がった。周りの視線が痛くて涙が出そうにもなった。人の視線にここまで少女が晒されたのは初めてだった。彼女は自分の奇形を改めて認識し、そしてこの世で生きていく必要性を感じた。
男女は馬車を降りて休憩をしていた。駅前のカフェテラスでの紅茶は今までのティータイムで一番味気なかった。二人の男女の間には重い沈黙が流れ、二人は互いに喪失感に苛まれていた。
「神よ、なぜ我々にここまでの試練をお与えになるのですか」
「偉大なる神よ、なぜ私たちが一生懸命になって守った子をまた奪うのですか」
「神よ、あなたはなぜ我々に与えては奪うのですか」
二人は祈り、涙を飲む。愛する娘に告げられた、全くの準備不足の突然の親離れと別れは二人を絶望の淵へ追いやっていた。
二人はあくまで完璧な親であるつもりであった。夫婦間は仲が良く、娘を第一に考え、大切に、愛情をたくさん与えて育ててきたつもりであった。だからこそ少女の言葉は衝撃的で、理解の追い付かないものであった。なぜ、あの子は帰らないと言ったのだろうか、なぜ生かさないでほしかったなどと言ったのだろうか。それは喉につっかえた小骨のように疑問として残った。
二人の冷たく青色なティータイムは遅い時間をゆっくりと押し進めていく。ふと、周りでひそひそと話す声が聞こえてきた。
「あの子おかしいわ」
「一人かしら?脚がないわよ」
「気味が悪いわね」
隣でお茶をする貴婦人のような装いの女性たちもそう言い出したものだから、二人も辻馬車の多く停まっている方へと目を向けた。
二人は目を疑った。ずっと動かず、話もせずに、ベッドで横たわっていた子が自分一人で進んでいるのだ。
不安定な片脚での歩行は両親の足を考えるより先に動かしていた。
駆け出した。乱雑に置かれ横になったティーカップからは、赤茶色の綺麗な紅茶が流れ白いテーブルクロスを染めた。そして二人は少女を抱きしめ、崩れ落ちた。二人は少女を包み込んで膝から崩れ落ちたのだ。抱きしめた少女は息が上がっていてとても疲れているように見えた。
「どうしたの、ここまで一人で来たの?」
「いいえ、すぐそばに彼がいるわ。ここまで送ってもらったのよ」
「一緒に帰る気になったのか?」
「いいえ、なってないわ。ただ、話をしに来たの」
「話?」
この言葉は青年にも聞こえており、青年は少女が帰らないと言ったことを嬉しく思い、そしてそんな自分を内心叱責した。
一方二人は唖然としたが、ずっと道端に座っているわけにはいかないから、と少女を立たせ、馬車に乗るように誘った。しかし少女はそれを断り、ここで聞いてほしいと頼む。
「私は不信感を持っていた。こんな体でなぜ生かされているのか、あなたたちがこんな欠けた私を生かす理由は何なのか」
少女は自分の胸の内を二人に話すつもりであった。少女はそうすることが最後の両親への親孝行だと信じた。
「私、わかるの、二人にとって私が一番じゃないこと。二人の愛の証としての私の肉体が求められていること。この血を二人が求めていること。」
「わかったの、それに拗ねていたわ。自分の意思とは違う生きると言う選択に疑問を抱いたわ、苦しむと決まった生を全うする理由が見つからなかった。でもこれは私のエゴだった。彼に言われて気づいたの」
少女は一人で立ち、易しい生を求めた自分を恥じ、両親に話した。視線は斜め下を向きながらも時折二人の顔を盗み見た。二人の表情は陰っていた。その様子に胸が痛んだが少女には話すしかなかった。
「本当はずっと目が覚めていたわ。十年近くただベッドでぼうっとしているようにしていたけれど、頭の中はぐちゃぐちゃといろんなことを考えていた。そんな中でたくさんの憎しみも溜まったわ。わざとらしい愛の言葉にもうんざりした。」
「それも今になれば無駄ではなかったと理解できる。あれがなければ私は青年と出会い、通じ合い、そして人間らしく生きることはできなかっただろうから」
そう言って言葉を途切れさせた少女はちらりと後方の青年を探した。そしてその姿を視界に捉えると、また両親に向き直した。すると母親が重く口を開く。
「あなたに意識があったことを私たちは知っていたわ。先生たちが傷や事故の怪我はもう大丈夫、あとは気持ちの問題だ、と仰られていて、なおさら私たちはあなたに愛を囁いたわ。それがあなたの不信感を煽ることになるとは思ってもみなかった」
母親の悲痛な叫びのような言葉は少女の胸を揺さぶった。
「確かに、私たちは自分の娘としてお前を愛している。しかしお前が娘だから、愛しているのかと言われるとそれはしっくりとこない。ただお前を愛していたんだ」
父親の深い声は春の日和の深海のようで心が落ち着いた。それは、本当に愛されていたのかもしれない、そう感じるほどに真剣で優しい声色であった。
少女を父親は抱きしめた。それに母親も重なった。往来の多い道の真ん中であることも忘れて深く抱きしめあった。両親な目には涙が浮かんでおり、少女の頬にはついさっき流れたような涙のあとがある。
「私、きちんと生きるわ。彼と一緒にいろんなものを見るの。きちんと進むわ。たまに手紙だって書くわ。だから心配しないで」
少女の言葉に二人はうん、うん、とうなづいた。
生と死と夕焼け-EP11
二人がドアを開けると、少女の両親は驚いた表情を大きく浮かべた。それは次に歓喜を表し、最後に心配そうな顔になった。母親は身を乗り出し駆け寄ろうとした。
「ナーシャちゃん!」
「待ちなさい」
それを父親に止められ、母親は駆け寄れなかった。母親は不服そうな表情を浮かべたが父親はそんなことは気にせずに青年を睨み付けた。
「私の娘から離れなさい」
「そんなことをしたら彼女、倒れますよ」
「私が支えるから離しなさい」
「無茶を言う」
青年は呆れた。めちゃくちゃなことを言う人だ。しかしそれほど少女に対して、自分の娘に対して本気なのだと青年は感じた。
「君がしていることは誘拐だぞ」
人でなし、そう言ってみせる父親の表情は怒りと軽蔑のそのものであった。青年はこの表情を向けられる機会があまりなかったので新鮮な心持ちがした。
青年は横に立つ少女の顔を盗み見た。少女の顔は無関心と怒りの間のような表情を浮かべていた。母親は少女のそんな様子を不安そうに見つめる。
「ナーシャちゃん、体調が悪いの?そうよね、
そんな小屋にいたら体調も崩すわよね、大丈夫よ、
もうすぐ助けてあげるからね」
早口に途切れ途切れに話す母親に、青年は母親らしい心配と安心させようとする心遣いを感じた。しかし少女の晴れない視線を見ればその言葉に効果がないことは一目瞭然であった。
「帰らないわよ、私」
やっと少女は言葉を発した。はっきりと言い放つ様子に両親は驚きを隠せず、動揺した様子で言葉を紡ぐ。
「何を言っているんだ」
「話せるようになったのね!」
「お前は誘拐犯の肩を持つのか」
父親の疑問と母親の喜びでその場はカオス状態となった。少女は顔を両親に向けて怒りを表している。それは年頃らしい表情でもあった。
「私、彼に会ってようやく生きたいと感じたわ。
それまではずっと死にたくてたまらなかった。
なぜ私を生かしたの?
こんな体なら死んでしまった方がましだった」
「お前のことを愛していたんだ」
「本当よ。生きていて欲しかったの」
「それはあなたたちの気持ちじゃない。
こんな体で生きていくことを考えたら殺してあ
げる方が優しさだと思えなかったの?」
「お前のことを一生をかけて守るって決めていた」
「私より先に死ぬ癖に?」
「その頃にはお前にもいい人が見つかると……」
父親の少し惑う様子と母親の不安そうな様子に空間に歪みを生むように空気が重く濁った。青年はその空気が悪くなる瞬間を痛いほどに感じた。
「なら、今がその時よ」
少女はそう言うと青年に中に入りましょう、と言った。
青年は少し迷ったが少女に従い小屋に入った。振り向き際に見た両親の顔は青年にはなんと言い表せば良いのかわからなかった。しかしそれが快の表情でないことはよくわかった。
二人が中に入っていった後、両親は馬車に乗り麓へと降りて行った。少女はベッドで寝転がり、窓に背を向ける。それが意図的でわざとらしいような気がして青年はかける言葉を探した。
室内に入って二、三時間が経った。部屋の中の気温は心なしか低くて少女はシーツに包まっていた。青年はそんな少女のベッドの脇に腰かけて少女の頭を撫でた。
「なにがそんなに辛いんだい」
「辛くなんてないわ」
「両親においていかれてさみしいのかい」
「寂しくなんかないわ」
「言ってしまった言葉を後悔しているのかい」
「……」
「君の反応は悪いものではないよ、年頃の子
は大抵そんな風に両親に反抗するものさ。
そしてそれを悔やみながら大人になるんだ」
青年は慰めるように少女に体を寄せ、なお頭を撫で続けた。少女にとってこう言ったことはお節介かもしれないと思いつつもそうせずにはいられなかった。
「私わかってるの。父さんや母さんが私を愛する理由。
それは私が彼らの愛の物理的な証拠だから。
だから私の気持ちは尊重されずに両親の気持ちが
尊重される。私のためを想うならばあの事故の日に
殺しておくのが優しさのはずよ」
「それはどうかな」
「ちがうと言うの?」
「君の言っているのは優しさでなく易しさだ。
簡単、と言う意味だよ。簡単な生き方を
君が望んでいるに過ぎないんだ」
「あなたは何も知らないわ、自分の肢体が欠
けた苦しみだって」
「もちろんそうだね。ただ、生きると言うの
は程度が違えど苦しみを抱きながら一日一
日を過ごすことなんだよ」
「あなたに何がわかるのよ」
「わかるよ、もう一千年近く生きているから
ね」
「何を言っているのかわからないわ」
少女は困惑の表情を浮かべた。青年は自分の暴露を恥じなかった。
「僕が怖いなら早く両親の元に帰った方がいい。
僕は死なないからきみの一生を見届けることは可能だ。
しかし僕が人間だと言う保証は、僕だって持っていない」
それは暗に少女に両親を追って帰るようにと伝えていた。そしてそれがわからない少女でもなかった。
少女には青年が嘘を言っているようには見えない。しかし少女はそんな踏ん切りもつかない。嫌いな両親と優しい青年ならば必ず青年を取る自信があった。しかし青年が死なない怪物ならばそれはどうであろう。
少女の困惑をその目に焼き付けた青年は潮時だ、と辻馬車を呼んだ。三十分もせずに馬車は着くだろう。青年にとってこの小屋の場所を知られるのはいいことではなかったが、この際は仕方がなかった。
あの病院からここまで馬車で来るのには、徒歩ほど小回りが効かないので必ず一度麓の港町を通る。そこで会えなくとも少なくともあの病院まで送ってあげれれば両親と連絡も取れるはずだ。
少女と青年はだんまりと黙り込んでいた。それは二人に訪れた久しぶりの重く沈んだ空気であった。お互いに触れないようにしてきたものにお互いに触れ、お互いが諦めにも近い感情を抱いていた。
きっともう会うことはない。
馬車が着いた。近寄る馬の足音に早く近づいてほしいと思う気持ちよりこちらへ来ないでほしいと思う気持ちが勝っていた。出逢わなければ、と思う心を初めて感じた。
青年は少女に近づき、肩を貸すよ、と言った。少女は迷わずその肩に腕を回した。
表へ出ると青年と少女は馬車に向かった。少女の手に荷物はなかった。青年は少しそれを寂しくも思った。
従者がドアを開けて待っている。
「一人じゃ乗れないわ」
ポツリとそう言う少女に切なさが募った。
「乗せてあげるよ」
そう言って抱き上げ、従者に軽く会釈して座席に座らせる。小さめの四人乗りの馬車は一人ではさほど窮屈ではなさそうだ。
青年は馬車の中で座る少女を見て、出会いと別れを惜しむ気持ちが浮き彫りになるのを感じた。青年から見る少女の表情は出会った時とは全く違う、生きた人間の顔と言えた。
青年と少女は向き合った。馬車に乗った少女は青年より目線が高く、まるでロミオとジュリエットのようで。少女が小さく口を動かしたので青年は少女の顔に耳を近づける。別れの言葉を聞き逃さないようにと。
青年は腕を掴まれた。細い手が力いっぱいに引っ張った。とっさのことにバランスを崩し、青年は片足を馬車に乗り上げた。少女はそれを確認すると寝転ぶように体を使って青年を引っ張り、馬車に乗せた。
「ドアを閉めていいわ」
少女は従者にそう告げ、従者はそれに従いドアを閉めた。
青年は困惑した。
「何をしているんだきみは……」
「何って、言ったじゃない。一人じゃ馬車に乗れないのよ」
「だから今乗せてあげたじゃないか」
「降りるときは?歩くときは?もしかしてあなた、
私を一人で街まで出す気だったの?」
少女はわかっているのに意地悪く青年を問い詰めた。青年は気づき、笑った。
「わかった。僕が悪かった。最後まで付き合うよ」
気持ちがふさぎ込むと、どうも自分のことしか見えなくなって困る。そうぼやいて青年は少女の横に座った。そして従者に小窓から麓の港街まで、と伝える。少女はその様子を始終満足そうにみつめていた。
馬車の中は春の陽気だった。道は悪くガタガタと文句を言いながら揺れるが、その中の空気は決して悪くはならなかった。
「乗り物酔いはしないかい?」
「大丈夫よ。あなたもしんどくなったら
小窓から顔を出せばいいわ」
「お気遣いありがとう」
「どういたしまして」
彼女のけんかの後の憎まれ口には嫌いになれない愛嬌がある。青年はそんなことを考えながら陽の光の温もりを感じた。
生と死と夕焼け-EP10
二人は荷物をまとめた。小さな小屋でお互いに荷物なんて衣服くらいだった。それに青年は数日分の食料と水を革製の鞄に入れた。
「荷物はまとまったかい?」
「バッチリよ!もう出発が待ちきれないわ」
そんな少女に青年はにこやかに笑いかける。
「そんなに焦らなくたって街は逃げないさ。
出来るだけ早く次の家まで行きたいから、
大変な道になると思うけど頑張ってね」
「頑張るのはあなたじゃない」
青年の言葉に少女は瞳を伏せて自身の脚のあったはずの場所に手を置く。キュッとその場所のシーツを握りしめ、目を閉じる。
「そんなつもりで言ったんじゃないよ。ただ
もししんどくなってしまっても移動中では
医者がいないかもしれないし、君の看病も
疎かになる可能性がある。だから心算だけ
しておいて欲しいんだ」
「そんなに貧弱じゃないわ」
少し困ったような表情の青年に対して、少女はさっきまでと打って変わって不服そうに額にしわを寄せる。
青年の言い分もわからないわけではないが、これから長距離を動くにあたって、自分はただ背負われるだけで青年がその足を使う。なのに自分が更に身の心配までされることに、青年が全く自分を頼りにしていない事実に、腹が立っていた。
もちろん少女自身、自分には何もできないことはわかってはいる。しかし面と向かって直接言われるのはまた話が違うのだ。
少女は不服を体現するようにベッドに横たわった。このベッドにもよく慣れたものだ、と少女は思う。病室の毎日洗ったシーツのベッドよりよっぽど不潔で、サイズも病室のベッドの半分しかない。ましてや来た当初はとても埃っぽかった。咳だって出た。
しかし日当たりは最高でいつも暖かく、太陽の優しい香りがする。少女はこの優しく抱かれるような感覚を実は気に入っていた。
少女はベッドのシーツに顔を埋めて深呼吸をした。少女には気がかりなことがあった。それは青年があまりにも甲斐甲斐しいことだ。ベッドは常に自分に使わせて彼は床で眠り、食事は彼が作り、掃除や洗濯も彼がする。
自分に何かできるのか、と言われてしまうと何も思い浮かばない。ただしこのまま世話を焼かれ続けるのは不満なのだ。
せめて立てたらな……
今まで現実的に自分の体に不満を感じたことはなかった。ただ漠然と、脚がない、歩けない、何もできない、そう考えていただけだった。
ただ不満を述べるだけじゃダメだ、立てるようになりたい
そう願った。
荷造りをした翌日、小屋を出ることになった。青年は少女を背に乗せ、首から食料などの入った革製の鞄を下げる。少女は自分と青年の衣服の入った袋を肩から下げる。大きな肉と布の塊のようになったところで、青年は歩き出した。否、歩き出そうとした。
その動きを止めたのは近くで鳴る馬車の走る音だ。馬の足音と大きなガタガタという雑音。青年はその異常事態に驚いた。
「おかしいな、近くに何もできた形跡もないのに
人がこんなところまで来るなんて」
青年は不審そうにその音が止むのを待つ。
少女は聞き慣れた馬車の音に困惑した。
「父さん、母さん……」
背中から発せられる少女のか細い声は青年の耳まで届いた。そして青年は察した。
馬車の音は小屋のほんそばで止んだ。目的は明確であった。
馬車から体つきの豊かな男性と細いヒールのように華奢な女性が降り立った。二人の身なりは整っており、品を感じる。
降り立つ二人を少女はただ黙って見ていた。青年はいたって平然と二人に声をかけた。
「こんなところにどうなさったのですか?
迷っているようなら麓までの道をお教えしますが」
青年は麗しく爽やかな笑顔を見せる。美しい二人の長い髪が風に揺れる。対して馬車のそばに立つ二人の髪はピシッと整っており揺れはしない。男性はその場から青年に答えた。
「それは私たちが誰かということを知っての発言かね?」
少し怒りを含んだような声色は青年を威嚇するかのようであった。
「はて、僕にはわかりかねますが」
「とぼけるのはよして!」
女性の甲高い声が木々に覆われた緑の空洞に反響する。
小さな鳥たちがパタパタと飛び立つ。声高く言った女性は動揺しているようだったが、横の男性に肩を抱き寄せられ、その体に身を寄せる。それに青年は二人の関係性を垣間見た気になった。
男性は重く落ち着いた声で青年に話しかける。
「君は私たちの娘をどうするつもりだ」
「どうするも何も存じあげませんが」
「愚か者めが。君の背に背負っている者はじゃあ誰だと言うのだね」
「貴方達の娘という証拠もないでしょう」
「何を馬鹿なことを言うか。娘でなければわざわざ
こんな所まで来るまい」
「さあ?人攫いかもしれませんからね。そう
簡単に信用はできかねます」
「私たちの子を返して!」
青年と男性の煽り合いとも取れる進まない会話にこらえきれなくなったのか女性は声を荒げた。
青年は少女を見た。見たと言っても背にいる少女をしっかりと視界に捉えることはできず、見えたのは青年の肩に顔を埋めた少女のつむじだけだった。
「とりあえず今日はお帰り願えますか、彼女
体調が芳しくないようなので」
そう言い残すと青年は二人に背を向けて小屋に入ろうとした。
「待ちなさい!私達は娘を返してもらうまで
はここから離れんぞ!お前のような人攫い
に娘を盗られたままでは安心して眠れん」
そう声を荒げる男性に青年はうんざりとしたことを隠さず、美しい口からため息を溢した。
「あのですね、あまり騒がないでください。
本当にこの子が貴方達の娘だとしたら、
第一にこの子の体調を考えるでしょう?
自分の睡眠より。その時点で貴方達は怪しいです」
そう言って青年は扉を閉めた。
外から大きな声が聞こえたが、青年は無視をするように努めた。カーテンを閉め、少女を小さなベッドに横たわらせる。少女はすぐに真っ白なシーツに顔を埋めた。
「どうする?君が何もできないなら僕があの
二人を遇らうよ。大丈夫、うまくやるさ、慣れてる」
「待って」
「待つよ」
青年は少女がどうするのか五分五分だと感じていた。少女は変態を目前にしたサナギだ。蝶になるか、蛾になるか、はたまた変態に失敗して命を落とすか。青年からすればどれも特にいい結果だとは思えないものが脳裏に浮かんだ。
一方で少女は震えていた。それはずっと向き合って来なかったものを目の前にして怯えているのか、それともただの武者震いか。ただ少女は全て前者であろう。
両親が目の前に現れた時、少女はとっさに顔を青年の背に隠し、何も聞こえないかのように押し黙った。それは反射的に起こった反応であり、彼女のトラウマを刺激された結果だった。
しかし少女にとってそれは苦痛だった。自分が今だに両親に縛られていると言う事実に無性に腹が立った。そして、その癖に自分を救ってくれた青年を邪険に扱うような両親の物言いにも腹を立てていた。
少女はバッと顔をシーツから上げて勢いよく言った。
「私、話すわ。言いたいことがあるの。
これからもあなたと一緒にいたいの。」
青年は少女の言葉に喜び、そして切なくなった。いよいよ少女が蝶になろうとしているのだ。自分といたいと言ってくれるのは嬉しい、しかしそれは叶わない。青年は少女が自己を確立し、自分の足で立ったとき、その末は静寂な別れが待っていると理解していた。それは青年の秘密のためにも、少女の生のためにも必要なことであった。
「きみならできるよ」
苦しい言葉だった。笑顔は不自然で青年の気持ちをありありと大きく示している。しかし自分のことにいっぱいいっぱいな二人はそんな不自然にも気付きはしない。
少女と青年はどちらからともなく抱き合った。抱擁は深く、力強い。
「肩を貸してくれる?」
「もちろんだよ」
少女は抱き合った姿勢でそう尋ねると青年は快く返答した。そしてどちらからともなく身を離すと、青年はベッドに腰掛ける少女に肩を貸した。身長差があるため青年は腰をかがめ、少女は体を伸ばした姿勢になる。そして二人は歩き出す。それはヴァージンロードを歩く新郎新婦のように厳かであった。
生と死と夕焼け-EP9
それからの数日、二人はお互いの傷には深入りはしないで過ごした。それは今までと変わらない、ただテレパシーのように、少女の傷にも青年の秘密にも触れない。それは怠惰な日常とも言えた。
少女には肉体的な傷だけでなく外的傷もあった。それは初めて青年が少女とその両親を見た時に感じたものとも言える。ただもちろんそれだけが全てではない。少女は確かな愛を求めている。
少女は事故当時、自分の体を初めて見た時、当然に絶望に打ちひしがれた。脚の断面の傷は麻酔を打っているにも関わらず、鈍いとも鋭いともとれない痛みを発する。少女は視覚的痛みと感覚的痛みの両方に苦しめられた。頭を右に振って病室を見渡したが、そこに求める姿はなかった。少女はその時、絶望と不安と痛みを一人きりで耐えると言う経験をした。
その日の数時間後、仲睦まじく腕を組んだ夫婦が少女の病室へ入ってきた。少女の目にはそう映った。
少女の両親は少女の年齢からすると年をとった両親だった。しかしだからこそ、喧嘩は少なく落ち着きのある、ご近所さんも羨む夫婦であった。そして少女にとっても、二人は理想の夢であった。
いつかは広いお庭のある家で大型犬と男の子と女の子の二人の子どもと、旦那さんと、駆け回ったり、サンドイッチを作ったりして幸せに過ごすのだと、少女は幼いながらにチープで捻りのない夢を見ていた。
そんな少女の安い夢は崩れ落ちた。当たり前に訪れたであろう夢は、叶わぬものとして海の藻屑となり、バラバラに流れて何処かへ行ってしまった。
少女には駆け回るための脚がなくなった。少女の求めていた理想の夫婦は、理想ではなくなった。彼らは時として子どもを放って何処かへ行ってしまう。肝心な時に、苦しい時に、抱きしめて欲しい時に、温もりを感じたいときに、そばにいてくれない。二人は二人で愛し合っているのだから、それはある意味当然なのかもしれない。ただ、子どもの立場の少女にはそれはあまりにも酷であった。
少女は失望した。自分の両親に。
二人はなぜ自分を生かした。決まってる、それは自分が二人の間の子だからだ、二人の愛の物理的証拠だからだ、そう少女は思った。その思考は少女の生きる活力を、夢を見る力を奪い去った。
自分という存在に生きている価値はない。
そんな思いが少女の中で木霊した。それは煩悩を消す除夜の鐘のように響き渡り、他の感情を排除した。そうして少女は心を手放した。
病室でただ外を眺め続けていた彼女は、自分が無駄な抵抗をしていることに気づいていた。病室でいくら誰とも話さず、動かず、飲まず、食わずで時を過ごしても何も生まれない。
失ったものは戻って来ないし、どう足掻いたって取り返せない。
そうとわかりながらも惰性的に生きることに慣れてしまった彼女は身動きが取れずにいた。一度は舌を噛み千切ろうか、手首を掻き切ろうか、と行動したこともあった。しかしそれは失敗に終わり、少女は諦め、生きた屍となることを甘んじて受け入れた。そして屍のような生活を始めて数年が経ち、窓辺に天使が舞い降りた。
少女はあの日の出来事を一生忘れないと自負していた。いつもと変わらない景色に突如差し込んだ天使の後光。光の中から現れた天使。こちらを見るその青い瞳に少女は、動いていなかった心臓が動き始める音を聞いた。
少女は彼に何も話しはしなかったが、彼は少女を見て全てを理解したかのように動いた。その様が更に少女にとっての青年を神聖なものにした。
天使が舞い降り、生きるために自分に繋がれていた管を一本一本丁寧に取り外す。その風景は少女の人生で類を見ないほど優雅で優しい殺害行為であった。神がようやく自分の意思を尊重してくれた、そう思った。
しかしそのような思いは束の間で、呼吸が苦しくなり、血圧が変動し、鼓動が激しくなると、少女の眠っていた心は再び生きたい、と叫び出した。それが少女の心の覚醒であった。
少女は気づいていた。本気で死のうと思えば自ら命を断てたこと。それは残酷な決断だが自分の意思とは反していないように思える行動であった。自分の行為を誰かが咎めるとすればそれこそ自分を生かそうとした両親や医師たち程度のものだ。事故にあって引っ越した自分のことを心配する友達なんて、三日もすれば零人になる。そんな冷めた気持ちが湧き出てくる。
咎めてくる人は悲しむだろうか、それとも自分の使った労力が徒労となることを悔しがるだろうか、少女は死なない理由を探すことをやめた。そして死ぬ理由も。どちらも少女にはないのだ。
働き出した心は今までサボっていた分を取り戻すかのように慌しく変化する。時に怒りや焦りに心を奪われ、またある時には喜びと期待に打ち叩かれる。少女はそんな自分の心に疲れてきていた。気力と体力は連動している、そう身を以て感じた。
少女と青年はそろそろ小屋を出てもっと遠い街に向けて動き出そうとしていた。少女は小屋の暮らしにも慣れてきていたから少し寂しさを感じたが、次の街にはきっともっと楽しいことがあると励ます青年の言葉にワクワクもした。
少女は慣れた様子で白く長いスカートをタンスから引き出し片脚を通した。少女はこのスカートが新しい服たちの中でも特別お気に入りであった。すべすべとした肌触りと擦れると鳴るシャッシャッという音がハープの音色のように少女の心を安らかなものにする。
少女は今までの絶望や苦しみを全て忘れたかのように、この世は明るいと信じるようになっていた。どこまでも広くて明るく優しい世界が自分を待っている。他人のためでなく自分のために息ができる。自分のことを自分で決められる。少女の心は鼓動を許された。
生と死と夕焼け-EP8
小屋に戻った二人は荷解きをして購入した洋服なんかをタンスにしまった。二人は明るく話しているようでお互いに闇を抱きしめて別のことを考えている。
青年は恐怖に捕らえられ、少女は青年の秘密という甘美な響きに捕らえられている。
少女は青年の秘密が青年にとって良くないことなのは本人の言い草からも知っている。それに今、青年にそのことについて尋ねてもいいのか、少女には判断が付かないでいる。何年も人と関わってこなかったからかな、そんなどこかで聞いたような言い訳も考えていた。
二人は何事もなかったかのように食事をして床についた。少女は小さいながらも柔らかいベッドへ、青年は固く広々とした床で、頭を働かせながら眠気を待った。
正直にいうと、青年の心はあの夕どきからずっとザワついたままだった。大丈夫、何も恐れることはない、そんな風に自分自身に何度言い聞かせようとも、そのザワつきは消えない。青年は理解し難い焦燥感に身を焦がしていた。
そしてなぜ自分だけがこんな風に苦しみ続けなくてはならないのか、青年は怒りすら覚えた。しかし頭の片隅ではこの感情は乗り切った感情だ、今自分がしているのは反復練習のようなものであり、おまけに使い物にならない、自慰的もので何も生まない。そう思ってはいるが思考は消えない。こんなのは本当に一四歳児のようだ。青年は自嘲した。
ドサッ
青年の耳に不可解な音が飛び込んできた。
何の音だ?
何か重たいものが床に落ちたような音だ。それは石のように固くない、しかしスライムのように柔らかくもない。そして青年は寒さで酔いがさめるように気付く。この部屋であんな音がするのは人がベッドから落ちる音以外に考えにくい。青年は振り向こうとした。しかしそれは背中に触れた暖かい感触で静止された。
「今日は様子が変だった」
拗ねたような心配したような、そんな声色だった。
「老人に会ってからよ、あなたがおじいさんの名前で呼ば
れてから」
背中で寝返りをうつ感覚がする。少女は両手を青年の背中に置いて問いかける。
「何を恐れているの」
青年は勢いよく不振り向いた。その目は血走っていた。
しかしその目はすぐに、少女の猛禽類のような瞳に怖気付き、光を失った。青年は己が恐れていることを受け入れ、
「僕は怖いんだ。僕の秘密が他人に知られることが」
ポツンとそんな言葉を、切れた蜘蛛の糸のように力無く垂らした。向き合ってはいるが二人の視線は交わらない。
「それは誰にも知られてはいけなことなの?」
その少女の問いに青年は声には出さないがしっかりと頷いた。
「あの老人には?」
「ダメだよ、知られてはいけない」
「薬草師のお婆さんは?」
「ダメだ、恐ろしいよ」
「私は?」
「……」
青年は答えなかった。少女にはわかる。青年が悩んでいること。青年は今、自分でどうするべきかわからないのだ。
ずっと隠し通してきた、しかし誰かにずっと言いたくて堪らなかった、そこに似た者の少女が現れた。それは運命的であって必然的だ。そう感じる青年は彼女なら受け入れてくれるかもしれない、そう希望を抱く。
しかしあれは運命でもなんでもない、ただの偶然だ、もしくは神が自分にさらに深い絶望を与えるために用意した女神なのだ。そう言う青年がやめておきなさい、離れていくのが早くなるだけだ、と青年を引き止める。それは青年の中に生まれた無邪気な天使と悪魔であった。
青年は自分の中のドロドロとした感情を感じた。そして糸電話のような、遠くて小さくて不安定だった思考が一つの答えを導き出した。
「そうか、神は僕に堕ちろ、と言っていたのか。自分が僕の魂を欲っしたとしても手が届かぬように。手に入らないでいてこそ真の美であるということか。いや、この犯人は神ですらないのかもしれない。何か得体の知れない強い力を持ったものが僕を欲したのだ。人間の命が数十年と決まっているのは、この人間には重すぎる絶望を溜め込みすぎず、天界へ登るためだった」
「生まれる前から僕の行く先は決まっていた」
苦しみから生まれる重くてドロついた絶望に気付いた青年は打ちひしがれた。もうすでに一千年近く生きている青年に成せることなんてない。少女は青年をおいて去っていき、いずれは天に登ってしまう。悔しさから青年は頭を掻き毟った。悔しい。
青年の言葉に少女は完璧な答えは得られなかった。しかし青年の悩みの規模はとても大きく、そして深い悲しみを含んでいることはわかる。少女は疑問を持ちながらも青年を見つめて言葉を紡いだ。
「私、あなたと出会ってから、この世が自分のものになったの。ずっと消えてしまいたかったのに、あなたに生きる術を取り上げられた瞬間、私の中の本能が生きたいって叫んだの。血液の声を初めて聞いたわ。そしてあなたが私に生きるか死ぬかをきいた。それを自分で決める自由をずっと求めていた。そして私の選択をあなたは当然のように受け入れてくれた。その時とても嬉しかった」
つい一、二ヶ月前のことを懐かしむように思い出し、暗闇の中微笑む彼女は月から舞い降り、これから天に帰るかぐや姫のようだ。シルクのような滑らかで優しい言葉をその口から生み出す。しかしそれは時が来れば月に帰る。青年は少女の言葉を聞いて確信した。彼女はやはり姫だったのだと。彼女は完璧だ。
例え身体のパーツが足りていなくとも、例え非力でも、美しくて、芯のある彼女の在り方は人間として幸せになるのに相応しいと感じられた。その眠りを覚ましたのが怪物でなければ、彼女は本当に完璧だった。青年は虚しかった。己という存在が、何よりも。
「僕は……」
青年は口を開いた。真夏の悪夢を拭うように。その虚無感を拭い去るように。
「僕は君にずっと隠し事をしている。もちろん君だけにじゃない、この世の全ての人間にだ。僕は自分が嫌いだ。出会った当初の君のように。僕は、忌むべき存在だと、今までこの秘密を知った人びとに言われてきた。別にそんなことはどうでもよかったんだよ、だってどうせあいつらは他人で、僕より先に死ぬんだから」
そう一息で言い、呼吸を整える。その拍は三拍か、四拍か。
「僕は誰よりも美しく生まれて誰よりも汚い存在に成り下がった。生まれてから大切だと思ったのは母と弟だけだった。でもその二人は不慮の事故に遭って若くして死んだ。弟なんてまだ八歳だった。死ぬべきだったのは僕だったのに」
少女は何も言わない。青年の脳内では緊急会議が開かれていた。弱気で頼りないところを見せた、少女に嫌われた、離れていってしまう、そんな大声があちらこちらで湧いた。青年は少女の顔を見れなかった。ただ俯いて彼女の髪の端を見る。堪えきれずごめん、そう言おうとした瞬間、目の前に手が伸びてきた。それは少女の細くて頼りなかった手だ。
「あなたは死ぬべきだったとは言えないわ、だって私、あなたがいなければ生きていなかった。私にとってあなたは救世主なのよ」
あなたのせいじゃないのよ、そういって綺麗に笑う少女に青年は目頭が熱くなった。涙の出る感覚に似ている。そういえば、最後に涙を流したのはいつだったか。青年は少女の手をぎゅっと握る。細くて頼りなかった手には血が通い、少ない筋肉が動き、青年の手を想像よりずっと強く握ってくれる。
―王子じゃなくて救世主か
青年はその例えに顔をほころばせた。ずっと自分が養分と幸運を吸い取って生まれたような心地がしていた。誰かにそうじゃないよと慰められたかった。女々しいがそれは確かな欲求であった。
秘密はまだ言えない、だが秘密を取り巻く自分の苦しみは、少なくともこの少女にとって、自分との関係の壁にはならない。青年は自分の臆病を恥じる前にその安心感に身を任せることにした。
「いつかきちんと話すよ」
「約束よ。ただし、話したくなったらでいいけどね」
少女はおちゃらけた風に言って笑った。
二人はそのまま手を繋いで眠りに落ちた。母の手を握って眠る子どものように、その青年の寝顔はあどけなかった。
翌朝、少女は全身の痛みを怪獣のように訴えた。